一人だけの初任務 〜勝者と敗者〜



とある港付近の海中、黒いスキンスーツを身に纏った一人の人間が会話をしていた
スーツ越しでも分かる柔らかそうな身体、膨らみのある胸から女性である事が伺える
大きいバックパックを背負い、そこから伸びる二本の太いホースが彼女の命を繋いでいる
頭には、後頭部を除く全面が透明である、金魚鉢みたいな大きいヘルメットを装着していた
その顔からは未だ幼さが残る、桃髪が特徴的な若い少女であった

「・・・は、はい、軍港で間違い無さそうです、引き続き捜索を続行します、以上 (プチッ)」

頭の後ろでは、継続的にエアを供給する音が静かに鳴り響く
それと優しい呼吸音、この2つがヘルメットの内部で永遠と反響していた

「(すぅぅー、はぁーっ) やっぱこの空気の匂いは慣れないよ
          さっさと終わらせて、地上の空気を味わいたいものだね」

太いホースを経由して送られるエアは、僅かにゴムの匂いがあった
その居心地の悪さは、自然の空気が恋しくなってしまう位
況してや今日は初任務、緊張のせいもあるのだろうか・・・
何時間と着用しているヘルメット内部は、少々蒸し暑い気がした

(早くヘルメットを脱いで、精一杯の深呼吸でリフレッシュをしたいものだ…)
だがその願いを、この少女が叶える事は無かった

〈ガシッ〉

捜索を再開しようとしたその時である、一人の少女が掴み掛ってきた
セーラー服を着た、さほど年齢の変わらぬロングヘアーの女学生である

(式典の最中にとんだ鼠が居たものだ、サボってて正解だったわー)

「きゃっ な、何でバレたの!?」

想定外の危機に彼女が驚くのも無理は無い
彼女の背負うバックパック、これはリブリーザと言う外に排気を出さない機材である事が一つ
更にこの日は、港では開港二周年の式典が催され、警備が居ないとの報告を受けていた
見つかるなど有り得ない筈だった・・・それを信じて、単独この任務を引き受けた
しかし現実は正反対の絶望的な状況、あまりの自分の不運に、涙が溢れてきた

(いやー、無線であんたの会話を偶然傍受したんだよね
       単独で港の偵察に来てたんだって? 可愛い顔して勇敢なんだね)

戸惑いの一言に、女学生はそのように心で返事をした
実際、この女学生以外に偵察の存在に気付いた者は居なかった
そして何も言わず、スカートに隠し持っていたナイフを取り出す
視界の歪むヘルメット越しでも確認できる、その表情は微かに微笑んでいた

(そんな顔が丸見えなヘルメット、可愛さを外部にアピールでもしてたの?
  ただ幸い、これでサボりの口述も出来たわけだ…ってことで、死んでもらうよ)
 
ヘルメットが後ろに引っ張られる感覚…刹那、その意味を彼女は悟った
エアホースの切断…それはすなわち、生命維持機能の喪失=彼女の死を意味した

「だ、ダメぇ! それだけはっ!」

精一杯に叫んだ哀願は外部にも聞こえていた、が・・・

「お願いだから! わ、私死にたくない!」

ナイフを押し付けたエアホースを、女学生は勢い良く切り裂いた

〈スパッ! ブシュゥゥゥゥ-〉

「嫌あぁぁぁぁぁァァァァーっ!」

ホースの切れ目から豪快にエアが漏れ出す
首元に感じるは水の感触、ヘルメットの浸水が始まった
自分のパニックを抑え、とっさに脚のナイフを取り出すも、その腕は女学生に掴まれる
逃げようにも脚を固められ、身動きもまともに取る事ができない

(やっぱ大した事無いじゃん、同級の方が普通に強いし
   こんなザコに単独任務を任せるとか、捨て駒にでもされてるんじゃないの?)

ヘルメットの浸水が止まらない、水面が上へ上へ迫ってくる事を肌で感じる
この"生死の境界線"が迫るのに比例して、彼女の恐怖は増加していった

「うぅ、離してっ! 死にたくない、嫌、そんなの嫌だよぉ...」

だが無情にも、ヘルメットの浸水は口を覆う
その時、彼女は機械に生かされていた自分を自覚した
当たり前の様に何時間と潜っていた水中世界
しかしこの機材が無ければ、私は10分と生きられなかったのだ
次第に近づいて来る死の実感が、また一段と現実味を出す







「いやっ・・・ごぼっ...だっ・・ごぼっ...ごぼぼ...」

彼女の左手を握る腕に力が加わり、その手からナイフが落ちる
首元を掴む手を離そうともがくにも、一向に緩む事は無い
視界の目の前には、潜水機材を"殺した"ナイフが不気味に光っていた
その間にもヘルメットの浸水は、鼻、そして目に達する

(おっと、私もそろそろ苦しくなったし・・・このエア貰うね)

〈シュゥゥ-ッ すぅー ブシュゥゥゥゥ-〉
ホースをくわえると女学生は肺に一杯のエアを吸い込み
その口を離すと、また激しくエアが漏れ出した

「ごぼ...ごぼっごぼ...(―私、もうダメなのかな・・・)」

激しくもがく少女、当然、体内に残された酸素の消費は著しかった
高がホース一本で自分の生死が別れてしまうなんて…
自分の弱さ、人間の弱さをここまで恨んだ事があっただろうか

〈ブシュゥゥー〉

背後で聞こえるエア漏れの音も忌々しい、もう聞きたくない
エアはすぐそこにあるのに、それが自分の口元に行き渡る事は無い
やがて、女学生を離そうと必死になっていた両手足から力が抜ける

「(―もう無理、部隊のみんな...ごめんね...) ごぼっ...」

最期のエアを吐き出し、彼女は全く動かなくなった
今さっきまで落ち着きの無かった両手足がだらんと下に垂れ下がり、
見開いた桃色の瞳は、既に光を失っていた
その無念さを物語る最期の表情、殺した当事者ですら直ぐに直視出来なかった

(・・・さて、証拠にコイツを持ってかないと...
       その前にもう一息ってあれ、空っぽじゃん)

主の終焉を感じ取ったかの様に、リブリーザも大人しくなっていた
全てのエアが尽き、ホースから微々たるエアも漏れる事は無かった






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港の地上では、式典が盛大に催されている
そこには彼女と同じ制服の…海軍女学校の生徒達も多数参列し、
それぞれ与えられた役割の楽器の演奏で、式を華やかに盛り上げていた

演奏の後、海辺には三人の女学生が花を咲かせていた
(・・・そうそう、アイツまたサボり? いつも羨ましいなぁ)
(先生からも特別扱いらしいしね、この前の格闘訓練も凄かったでしょ)
(格闘に関しては敵無しだからなぁ、細い腕でよくあんな馬鹿力が出せるわ)
(ねね、向こうの水面見てよ 何か気泡の沸き上がり方凄くない?)
(どうせ船の修復でもやってる潜水士のだろ? 考え過ぎだっつーの)
(流石にそうか、あははっ 私も早く潜水実習やりたいなー)

海面に沸き上がる気泡に気付く者は居ても、
海中での静かな悲劇を知る者は、誰一人として居ない
華やかな式典の裏で、一つの命が幕を閉じた事を...






数時間後、女学校の教師である男の元に、先程の女学生がやってきた
不思議とびしょ濡れの制服、だがそれよりも不思議な光景は、彼女の手元
金魚鉢の様な真新しいヘルメットが、その手に掴まれていた

「偵察を発見しちゃってね、それで式典サボっちゃった、これ証拠」

ヘルメットを投げつけると、彼女は思い出した様にこう話した

「そうだ、その偵察に地上の空気吸わせてあげてよ、
         あんな空気で可哀想だったし、遺体の場所は...」












港付近の海底で少女の遺体が発見されたのは、それからすぐの出来事であった
だがこの少女にとって、海底だろうが地上だろうがは関係の無い事である
二度と自然の空気を味わう事は無い、唯一、着用していたスーツだけが生き生きと、
夕日に照らされ堂々光沢を放っていた、だがそれも、彼女の瞳に映るはずは無かった


最後の役目を終えると精一杯の深呼吸をし、女学生は何事も無かったかの様に去っていった

「こんな軍港でも、地上の空気はやっぱ良いものだね
      あの子も死んでなければ、今頃同じ空気を味わっていただろうに」


                              一人だけの初任務 〜勝者と敗者〜 終わり



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