Evil Papillon〜同族(あくま)に捧げる鎮魂歌(レクイエム)〜




「……ただいま」

がちゃり。
朝の訪れには些か早いアメリカのとあるチャイナタウン、寂れたアパートの一室の扉が静かに開けられる。

腰まで届いたツインテールの黒髪を揺らすその女は、フード付きの黒いラバースーツに身を包み、顔はイスラエル軍仕様ガスマスクで覆い、腰を黒革コルセットで引き締め、足にはニーハイブーツ、首と両腕には拘束具のような飾り……という出で立ち。

誰がどう見ても痴女以外の何者でもないのだが、部屋の灯りが彼女を照らすと思いもかけないものが顕わになった。

「フェイ、今日は最悪よ!?あの野郎、死に際にあたしに抱きついてきたのよ!!オキニのスーツが台無しじゃない……」

「お帰りフーディエ、それは災難だったわね……さぁ、シャワールームにいらっしゃいな?何もかも洗い流してあげるから」

彼女は殺し屋だった。フーディエと呼ばれた女は、黒光りするスーツの至るところを朱色に汚していた。女王様風のコスプレをしたフェイは、フーディエを風呂場へ促すとシャワーと洗剤で血痕を丹念に洗う。やがてスーツが黒い光沢を取り戻すとフーディエは水びたしの床に横になり体を預けた。

そしてフェイは左手にシャワーを持ったまま、自らが履いた、男根を模したゴム製の黒いパンツを、痴女の秘部へと優しく挿し込んでいく。

「ひ、うぅ……」

ガスマスク越しに卑猥な声をあげるフーディエを愛でるように、フェイは内蔵されたバイブレータのスイッチを入れた。

「ひゃ、ぅう、あ!!」

「綺麗な声ね……」

ぴくぴくと体を震わせ始めたフーディエの体を見て、フェイは痴女にシャワーを当てながら大胆かつ繊細に右手をスーツに這わせる。

秘部は熱くなり、水の流れとしなやかな手は絶妙なハーモニーを奏でて、スーツ越しのフーディエを快楽へと堕としていく。

「ぁふぅ、ぁぁあ!?ふ、フェイ、あれ……して……」

「……欲しいの?わかったわ」

フーディエに何かをせがまれたフェイはおもむろに右手をガスマスクに近付け、空気弁を塞ぐ。

「ぁっく、はっく、ひぐあく、はっく、あくぅ!!??(もっと、もっと汚して、そして洗い流して……)」

濁る空気に呼吸は荒くなり、全身が熱を帯だす。さらにそれをシャワーとバイブの刺激が掻き乱し、耐えられなくなった痴女は……

「っあ゛あ゛ああぁぁあ!!??」

絶頂に達した。
ガスマスクを投げ捨てて溢れる涙を拭いながら空気を貪る痴女は、右目に残る痛々しい火傷痕を惜し気もなく晒し、涅槃像のように快楽の余韻に浸っていた。

裏社会の闇を華麗に舞う少女、チャン=フーディエ(張 蝴蝶)。人呼んで……黒魔蝶(イーヴィルパピヨン)である。

〜それから3日後〜

「成功報酬、確かに確認しましたわ……では、ごきげんよう」

ビジネス街には、メガバンクを出て通りを颯爽と歩くビジネススーツ姿の流 菲(リウ=フェイ)……フェイの姿が。この日はフーディエの『仕事』に対する対価が支払われる日だったようだ。

ちなみにフェイは女王様を生業とする傍ら、フーディエの仲介役をしている。フェイとフーディエは香港の歓楽街で知り合ってからの仲で、フーディエは彼女を実の姉のように慕っているとか。

依頼人との電話を切ったフェイは、その足でチャイナタウンを根城とする地下組織・九龍会(くーろんかい)の頭目の下に向かう。

相手は高層ビルの一室を事務所としている……もっとも、表向きは貿易会社なのだが。屈強な男達に通された社長室では、蛇のような顔をした美しい女が水タバコを美味そうに飲んでいた。

「あら、フェイじゃないのさ。よく来てくれたわね」

女の名は黄 包龍(ファン=パオロン)。華僑3世にして、チャイナタウンの闇を牛耳る三代目頭目だ。パオロンはフェイの姿を認めるとデスクの電気ポットを手に取り、茶葉の入った急須に湯を注ぎ烏龍茶を淹れ始めた。

「今朝仕入れたばかりの上物よ、折角だから飲んでおいきなさい?」

「ドンナの薦めなら断れませんね……いただきますわ」

着席したフェイの前に、淹れたての烏龍茶の気品溢れる華やかな香りが拡がる。彼女が目の前で足を組んだドンナに目をやると、チャイナドレスのスリットからはやけに光沢のある赤い足がチラリと垣間見えた。恐らくドレスの下はラバーだろう……部屋の冷房が些か効きすぎていることから、フェイは本能で察した。

「まさかドンナ……私に弄ばれたいわけではないですよね?」

「退廃的な遊びは夜だから面白いの……それが目的ならこんな白ける時間に呼び出したりはしなくてよ?」

そう言うと、パオロンはひとつのファイルをフェイに手渡した。そこにはアジア系とみられる男達の写真が何枚も入っていた。

「こいつらねぇ、九龍会が代々平和に治めてきたこのシマを根こそぎ奪おう……ってハラみたいなの」

男達は中国本土で幅を利かせつつあるチャイニーズマフィア・禍斗のメンバーだった。

「この街は青幇(ちんばん)の末裔たる私のものなのよ、本土の洪門(※こうもん。チャイニーズマフィア全般をこう呼ぶ)だか何だか知らないけど、田舎者に似合う水はこの街には無いっていう話よ!!」

「つまり……近くに潜伏しているであろう禍斗の手の者を秘密裏に始末してほしい……ということですね?」

「……あら、察しが早くて助かるわ♪」

パオロンの言う青幇とは、かつて上海裏社会を支配していた海運ギルドのことだ。旧日本軍が上海を占領した際に組織は姿を消したのだが、日本軍や他の洪門の手を逃れた者の中には、世界各地のチャイナタウンに散らばった者もいたとかいないとか。

「後でシノギにするために反日デモを陽動したり、敵対組織をなりふり構わず潰したり……美しくないのよね、あいつら」

血で血を洗う抗争が如何に不毛で虚しいものか、パオロンは知っていた。アメリカマフィアにストリートギャング、さらに刑務所ギャング、チャイニーズマフィアにロシアンマフィア、南米カルテル……海千山千の犯罪組織がシノギを削るアメリカにおいて、九龍会は周囲の組織と比較的良好な関係を築くことでその存在とシマを保持してきた。チャイナタウンが比較的平穏なのは九龍会のお陰と言っても過言ではない。

「私も先代も、日本のヤクザに倣って相手のプライドを刺激しないようにしながら持ちつ持たれつの関係を築き上げてきたから、今があるのよ。あいつらはまさに暴虎ね、私達が倒れたら抗争の火が瞬く間に燃え広がるわ」

「私もフーディエも、九龍会には多大な恩を受けています。ましてドンナ直々の依頼となれば……お断りする理由など、どこにありましょう?」

交渉はつつがなくまとまった。

「向こうがよく使う手口はハニートラップ……」

「同性の同業ですね?それならかえってやりやすい、男より気兼ねなく葬れます」

「撒き餌はうちのノータリンに任せて。それらしい相手が出た時には連絡するからヨロシクね♪」

事務所を後にしたフェイは自宅に戻り、早速請けた依頼の子細をフーディエに伝えることにした。

「ただいまフーディエ……」

「ひ、あぅ!?お、おかえりぃ……」

「ちょ、どれだけ欲求不満なのよアンタは!!??」

家の玄関を開けるや、フェイの目に飛び込んできたのは、エロ漫画片手にAVを垂れ流し、仕事着とは別のラバーを着けて、自分の胸や秘部をいじくり回すフーディエの姿だった。フェイは思わず、頭を抱えた……

〜それからどした〜

チャイナタウンを飛び出して、夜の帳もすっかり降りた歓楽街。そこには、眠らぬ街の夜行虫達に擬態するフーディエとフェイの姿があった。フーディエは右目の火傷を眼帯で隠したゴスロリファッション、フェイは水商売風の出で立ちで獲物が網にかかるのを気配を殺して待っていた。

「それでどいつなの、ドンナが寄越した囮って?」

「あの彼よ……早速引っ掛けてくれたようね、急ぐわよ」

パオロンが差し向けた囮は、見慣れぬ東洋系の娼婦に誘われて近くのモーテルへと消えていく。フェイ達は2人と適度な距離を保ちながら、見失わないように後をツケた。

「あ、あのぉ〜、お客様……」

道中でフロントの従業員に止められようが、そこは笑顔でサラリとかわしてみせるのだ。

「先程こちらの部屋を取られたカン様が、『奴隷』を所望していらしたので……配達したいのでお部屋の番号を教えて頂けます?」

従業員の男は2人をいぶかしげに見つめていたが、フーディエのゴスロリ服の下のラバーを目の当たりにして納得したようでカンの取った部屋番を2人に教えた。

するとフェイ、今度は従業員に札束を握らせると耳元でこう囁いた。

「これから起こる一切の事は他言無用……もし漏らしたら、東海岸を漂ってもらうことになりますわよ?」

従業員に頷く以外の選択肢は許されなかった。

カンは娼婦が夜景を見たいとせがむから、眺めのいい角部屋を取ったようだ。モーテルの向かいは取り壊し予定の廃ビルで、狙撃にはうってつけのポイントである。

ゴスロリ服を脱ぎ捨てガスマスクを装着し仕事モードに入ったフーディエは、フェイと別れて裏口から廃ビルへと走り、フェイはカンの待つ部屋へと急ぐ。

その部屋ではガウンを身に付けたカンが、風呂場からバスタオル1枚で出てきた娼婦を迎えていた。

カンに目配せした娼婦はバルコニーへとゆっくりと歩き出そうとして戸に手をやり……

「そこまでよ!!」

首筋に冷たいモノを感じた。いつの間にかレザースーツに着替えたフェイが、娼婦にサバイバルナイフを突き付けていたのだ。

「え、カンさん?何かのジョークでしょ?」

この状況にあくまでシラを切り、一応は笑顔でカンに問い掛ける娼婦だが、彼にはそんな子供騙しが通じない理由がある……

「……アンタみたいなブッサイク、御呼びじゃないのよ!!アタシは生まれつき、漢(をとこ)じゃないと起たない体質なのよ!!失礼しちゃうわね」

「なっ、バカな!?」

……カンはゲイだった。それ故に、ハニートラップなどそもそも通じる道理が無い。

「命が惜しければ白状なさい、あなたの雇い主はどこ?」

「そ、それは……」

観念したのか、口を割ろうとした娼婦。

「幹部は……ぁくぅ!!??」

「「なっ……?!」」

向かいから放たれた弾丸はあろうことか娼婦の左胸を捉える。

「ちょっとアンタ、しっかりしなさいよ!!何も喋らないうちに死んだら、アタシが姐さんに叱られちゃうじゃないのよ!?」

「あ……う……ホテル・セントラルの……最上階……ぐっ」

赤く染まったバスタオルははらりと舞い落ちる。床に体を預けた娼婦は、カンに幹部の潜伏先を告げると、そのまま永久(とわ)の眠りについた。

「フーディエ、そっちに狙撃手がいるわ!!」

取り急いでフーディエに無線で敵の存在を知らせるフェイ。

「それなら今……あたしの目の前にいる」

そのフーディエは、既に敵の姿を視界に捉えていた。白地のライダースーツにフルフェイスヘルメットを付けた敵は、その手にアサルトライフルを握っている。フーディエは通信を切ると素早く腰のホルスターから二丁の拳銃を抜く。柔らかなボディラインがネオンに照らされた敵もそれとほぼ同時にライフルの銃口を彼女に向け、程なくして銃撃戦が始まった。

「ふっ、軽功術の使い手にこんな所で遭えるとはな……」

「そういうあんたも、やるじゃないの?」

二人は走りながら互いに向け発砲を繰り返しているのだが、その弾が互いにめり込む気配は一向に無い。

実はこの二人、気功術の一種で瞬発力を高めて弾丸より速く動く『軽功術(けいこうじゅつ)』を少々ではあるが心得ていた。一流の殺し屋たるもの、軽功術くらいは使えて当然なのかはさておいて、こうなっては拳銃やライフルといった文明の利器は意味をなさなくなるのだ。

「……ふん、私達の死合にこんな玩具は無用らしいな、黒魔蝶?」

「あら、あたしも少しは有名になったのね?」

二人は弾の切れた銃を投げ捨てると、今度は互いに拳を構え始めた。

「私は本土で白狼鬼と呼ばれている……恨みは無いが、立ちはだかるなら薙ぎ倒すまで!!」

黒と白の拳がぶつかり合う。軽功術の使い手同士の闘いだ、そう易々と決定打が入る訳もなく、一進一退の攻防が続く。だが体格差で優っていた白狼鬼が、徐々にフーディエを追い込んでいく。

「かはっ、ぐぅ!?」

「どうした黒魔蝶、もっと楽しませろ!!」

「がはぁっ!?」

白狼鬼のハイキックがフーディエの脳天に突き刺さり、ガスマスクが脱げた彼女は壁に打ち付けられ、ぐらりと崩れ落ちる。

「すぐ楽にしてやる……」

ゆっくりと獲物に近付き、首に手をかけようとする白狼鬼……

「あんた、死んだふりに気が付かないとかバカなの死ぬの?」

「なにっ!?」

すると無防備になった腹部にフーディエの蹴りが入り、体勢が崩れた隙に彼女は白狼鬼の背後に回り、

「切り札は最後に取っておくものよ!!」

「ぶはぁっ?!」

隠し持っていた鞭で敵を瞬時に拘束すると、壁や柱に打ち付けて確実にダメージを与えていく。フーディエはギリギリの賭けに勝ったのだ。

「がふぁ、ぐぁう?!」

「あっははははは、そうよ哭きなさい、もっと、もっといい声で!!」

右目の火傷痕も、狂気に満ちた今のフーディエにはよく似合う。正に黒魔蝶と化したフーディエは、ぐったりとしてきた白狼鬼をコマのように回すと、

「うらぁっ!!!!」

「がはぅ!?」

その顔面目掛け、飛び蹴りを馳走した。敵が崩れ落ちる先には、コンクリートから飛び出した鉄筋が待ち構えていた。

「あぐ……っ?!!?」

青白いヘルメットが脱げた銀髪の女……白狼鬼は、微睡みの中にいるような表情で、自分の胸を突き抜け赤く染まったスーツと鉄筋を見つめている。勝負が決したことを確信したフーディエは、白狼鬼にゆっくりと近付いた。

「あんた……ずっと辛かったんだね?」

「まぁな……でもやっと終わる、殺人マシンとして生きたクソッタレな人生が……げほっ!?」

余程の死にたがりだったようだ。この白狼鬼、間もなく自分の命がなくなるというのに殊の外(ことのほか)晴れやかな顔付きをしていた。

「先にあの世に逝かせてもらうぞ……」

「あんたとは気が合ったかもしれないわね、あたしが逝くときにはガイドでも頼もうかしら?」

「ふっ、精々楽しみにしてろ……あぁ……楽に…な…って…き…た」

白狼鬼はにこやかに微笑んだ後に目を閉じ、この世を去った。まるでこれから楽しい場所に出かけるかのように。

「あたしはまだ、死ぬわけにはいかない……」

それを見届けたフーディエは、月に照らされながら廃ビルを後にした……

〜それから3日後〜

「はいご苦労様、約束の報酬よ♪」

「ありがと、やっぱドンナは気前がいいね」

仕事を終えたフーディエとフェイは、パオロンの事務所で約束の報酬を受け取っていた。

「ところで、ホテルに潜伏していたという渦斗のメンバーですが……」

「それなんだけど、これからちょっとしたイベントがあるのよ。折角だから付き合いなさいな」

パオロンに促され、二人は黒塗りの車に乗り込む。着いた所は波止場の倉庫、中には巨大な水槽があり、その中ではバイキングスーツを着たフルフェイスガスマスクのダイバー達が、手足を拘束されて沈められていた。

「今日日(きょうび)コンクリ詰めも流行らないから、あの馬鹿共は『行き過ぎた窒息プレイによる事故死』ってことにするわ」

二人は察した、彼らが渦斗のメンバーだということを。

『助けてぇ(シュコー)、私は何も知らない(シュコー)、こいつら勝手に(シュコー)……』

「未亡人気取りのハエ女が、調子にのってシマ荒らしたバチが当たったのよ!!極道の端くれなら散り際もわきまえるのね」

その中には渦斗の前頭目をたぶらかした未亡人もいて、彼女が計画を主導していたようだ。ともあれ、これで渦斗もオシマイだろう……

「今日は気分がいいわぁ♪さぁ、イタリアンでも食べに行きましょうか」

「えっ、ドンナの奢り?ゴチになりまぁす!!」

「こらこらフーディエ、はしゃがないの」

都会の闇に舞う黒魔蝶。心に秘める真の目的を果たすその日まで、彼女の闘いは終わりを見ることはない……

〜了〜

・チャン=フーディエ
黒魔蝶(イーヴィルパピヨン)の二つ名を持つ殺し屋で、二丁拳銃と鞭が得意武器。髪はツインテールだが超ロングヘアで、結わえてもサラサラ。ラバーとイスラエル軍仕様ガスマスクは趣味と実用性を兼ねているというスタイリッシュ痴女。右目の火傷痕には彼女の哀しい過去が秘められている。

・リウ=フェイ
フーディエの姉的存在で、女王様を本業とする傍らで彼女の裏稼業のマネージャーを務め、時には実務のサポート役もこなしている。彼女自身はレザーが趣味。

・ファン=パオロン
チャイナタウンの裏ボス・九龍会の女頭目。表向きは貿易会社のやり手社長。
弄ぶのも弄ばれるのも大好きで、フェイのお得意様でもある。フーディエ達とは助けたり助けられたりの間柄。



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