耳元のインカムからすすり泣く声が時折聞こえてくる。冬華は目の前にいる後輩の頭を撫でてやった。 撫でるといっても直接触れることはできず、金魚鉢と呼ばれる透明な球体状のヘルメットの上からである。 金魚鉢の中、マスクを着けた舞衣の瞳が見つめてきた。元々大きい舞衣の瞳はマスクをするとより目立つ。 「私、こんな事させられるなんて聞かされてませんでした!」 マスク越しにインカムから発せられる声は籠っていてもなお涙声と判る。 「ごめんね、騙したつもりじゃないの。相手が同じ年頃の娘たちでも、相手は敵なの。判った?」 冬華も舞衣と同様に球体ヘルメットと気密スーツに身を包み、背中に大きなタンクを背負っている。 沿岸の警備を担う大切な仕事と、学校で募集されてやってきた舞衣達を待っていたのは敵国から送られてくる人間魚雷の無力化、つまり操縦者を仕留める過酷な任務だった。 「判りません。判りたくありません!こんなのおかしいです…!」 「あれをうちらの国に突入させられたら大変な事になるの。それにあの娘たちもあの任務につかされたらまず生きて帰れない」 冬華は自身にも言い聞かせながら舞衣のグローブに包まれた手を掴む。 「せんぱいの言ってる事、おかしいです…せんぱいはそんな事言う人じゃないです…」 「さあ、行きましょう。作戦開始まで時間がないわ」 掴んだ手をそのままに、舞衣を引っ張る。 「ぐずぐすしないで、072(オー・セブン・ツー)」 それを聞いた舞衣が反射的に手を離した。 「わたし072じゃないです!津々美舞衣です!そんな番号で呼ばないでくださいっ!」 そう叫ぶと両手でしゃがみこみ、金魚鉢の下の顔を覆うようにして泣き出してしまう。 「そっか…判った…」 自分でも驚くほど低い声だった。腰をかがめて舞衣を抱きしめる。 「せんぱい…!」 声色が少し嬉しそうだった事が、心に刺さる。 「ごめんね」と言いながら舞衣の腰に付いたチューブの栓を開いた。 チューブの起点はベルトに着いた薬品入れで、その行先は口元である。 「あっ…?あ、あ…」 舞衣は着けているマスクの中から流れてきた何かに思わず声をあげた。 「い"っ…きっ、き、キヒッ?」 やがて白目を剥きながら奇声を発し立ち上がった。冬華はその様をとても正視できず、目を背ける。 「スゥ…フ、フフッ…フー、フー…」 マスク越しに荒い呼吸音を響かせて体をビクビクと震わせる。 腰から流れ込んできた薬品が脳内に強烈な刺激を与え、舞衣はトイレパッドに失禁しながら絶頂した。 やがて呼吸が落ち着いてきた時、そこにいたのはもはや怯えた少女ではなかった。 「072、此ヨリ作戦準備二入リマス」 機械的な声で淡々と喋り、敬礼をする。虚ろな目はもはや人格を感じさせない。 この薬は強制的に戦闘マシーンを仕立てるためのものだった。 「069、ゴ指示ヲ」 その声色もボイスチェンジャーによって機械的なものへと変貌している。 薬を使用しているか否かを周囲に判別しやすくするためのシステムだが、その有り様は冬華の心をズタズタにするに余るものだった。 一人っ子の彼女は妹のように舞衣を可愛がっていたというのに。 (ごめんね…あんただけに辛い思いはさせない) そして冬華もまた腰に付けられたチューブへと手をやった。 マスクから強烈に甘い匂いが流れてきて冬華は思わずウ、とうめき声を上げた。 (なにこれ…頭がくらくらして…。そっか、これで、私も…舞衣と…一緒に) 早くも朦朧としてきた意識の中、最期まで後輩の事を思う。 (舞衣…そんなカオになっちゃうんだ…ひど…い…ね…ほん…と…ごめん…ね…) 体を激しく震わせひとしきり大小の生理現象を済ませた後、彼女のまとう空気は一変していた。 「作戦準備ヲ完了シタ」 スクランブルのかかった低い男性のような声。ボイスチェンジャーは個体を最低限識別できるようにそれぞれに適当に声音を変えるよう設定されている。 今や069(オー・シックス・ナイン)という戦闘単位と化した冬華はおもむろにロッカールームの壁に備え付けられていた鞭を取り072の二の腕を打った。 「グ…」低いうめき声を漏らした072だが、それだけだった。 「貴様ガ時間ヲ費ヤシタ為二5分ノ遅延デアル。グズグズスルナ」 |