「Fの断章:人の涙と人魚の血」



(あたし… 死ぬのかな…)
 身体中が痛くて、かぶってた「金魚鉢」も割れて、息が出来なくて。海水に血がどんどん流れ出してくのが分かる。手足が冷たくて、動かなくて。
せめて「五式撃雷」を起爆させることが出来たなら、そう思ったけれど、目もかすんでしまって、海底の砂地に落とした竹竿を掴むこともかなわない。愛しい人魚の面影が脳裏をよぎる。
(苦しいよ… もう一度だけ、マーナに会いたかったな……)
 ごぽっ。我知らず背をのけぞらせ、冷たい海水が胸を満たす感触を最後に、意識が途切れた。

 水際特攻兵器「伏龍」と呼ばれる装備の、武器となる撃雷を失い潜水服を破壊されたナミエは、静かに海底に横たわっていた。
切りそろえられた髪がゆらゆらと漂い、白い鉢巻は血と泥にまみれている。眸はもう何も映さず、まぶたを開いたまま、事切れていた。
(ナミエ……!)
 彼女の思考がぷつりと途切れたことで分かってはいたのに、青ざめて生気の無いナミエの顔を見た瞬間、マーナの視野は怒りと悲しみで真っ白に塗りつぶされた。
長い緑色の髪が水流にうねり、水面を仰ぐ彼女の喉を駆け上ったのは禁断の旋律。決して人に向かって使ってはいけないとされている、破滅を呼ぶ歌だった。
 ナミエを手にかけた黒ずくめの女性ダイバーがのけぞる。
(AAAAAAAAAAGH!!!!!)
 いきなり深海の水圧を受けたかのように全身が衝撃に襲われ、気泡混じりの悲鳴と金属のひしゃげる音、破断してのたくるエアホースから激しい勢いで吐き出す泡の柱。
だが、放心したままのマーナがそれらを感知することはなかった。
(ごめんねナミエ、間に合わなくて。痛かったよね、苦しかったよね……)
 動かない彼女の身体を抱きかかえ、透ける尾ひれをひるがえして、マーナは沖合へと泳ぎ去った。

 ドサリ、砂袋を落とすような重い音。
 UDT(Underwater Demolition Team)の支援舟艇に、ぼろぼろのフロッグマンが身体を投げ出した。潜水装備はもはや任務に堪えぬほどに破損しており、こんな状態の彼女がどうやって船縁のラダーを這い上がって来たものか。
レスキュー要員は首を傾げたものの、手早く救急救命措置を行うのだった。無事に彼女が収容されたことを確認した影は音もなく海面に身を沈め、静かに広がる波紋に気付く者は居なかった。

「さて、マーナ。何かわたしに言うことはあるのかな?」
 サキの常駐する深海の〈神殿〉、その一室。海水に満たされた部屋で。
「うう… ごめんなさいお師様。あたしは禁忌を2つも侵してしまいました。ひとつは、陸人を傷つける歌を使ったこと、もうひとつは、ナミエに血を与えたこと」
〈群れの長〉サキの、燐光を放つ翠石のような瞳がマーナを見据える。寄せた眉根をゆるめ、彼は地上人がため息をつくみたいに、ふっと水を吐き出した。
「起こってしまったことは仕方がない。君の激情と能力は母親譲りだろうし、ことを予測してもっと早く止めるべきだった。いかに多忙だったとしても君の監視を怠った、それはわたしの罪だろうね。
おかげで君と同じことをする羽目になったよ」
「って、まさか」
「〈長〉自らが禁を侵して地上人に血を与え、傷を癒したっていうのに、同じことをした君を罰するのも筋違いというものだろう」
「サキさん…」
「群れ(クラン)を守るために掟は絶対なんだよ、マーナ。だけど、目の前で人が死ぬのを黙って見てる趣味もないからね」

 海水吸引による肺炎。巨大な水圧に押しつぶされたかのような全身の筋断裂。肋骨、大腿骨、上腕骨、下顎に頸椎、鎖骨そのほか数十ヶ所の骨折。
複数の内臓が裂傷を負い、大動脈静脈ともに複数ヶ所で破断。いずれも即死しておかしくないほどの重傷だったのに、奇妙なことには、それらは治癒しかかっていた。
長い入院とリハビリを必要とするであろうし過酷な任務に就くことはもう出来ないかも知れないが、ともかく、ドナ=ウォーレンと言う名のUDT所属ダイバーは、戦火に散るはずの命を拾ったのだった。

 ごめんねナミエ。
 戦争だから、人どうしが戦うのも、死ぬのも仕方なかった。あたしたちは陸に干渉しちゃいけないのに、あなたに人魚の血を与えてしまった。
あなたは一度命を失っていたから、傷を癒すことを遙かに超えて、血はあなたの身体を変えてしまった。〈長〉――サキさんがやったみたいに、傷を治すだけなら良かったんだけど。
 ごめんね、ナミエ。あなたは人の輪からはみ出してしまう。愛しい人、親しい人をみんな見送って、長い長い人生をひとり歩むことになってしまう……

「…って、そんなに深刻になることもなかったのよね」
 奈美恵は肩口の長さに切りそろえた髪を揺らして笑う。
「この世界には人魚だけじゃなく色んな種族がいるみたいだし、あんまり年を取らないのだって、そういうもんだと思えば別に気にならないもの」
 一度失ってよみがえった命だから、もしかしたら人の意識とは異なるものになったのかも知れない。人の世の移り変わりを見て覚えておくことは、嫌ではなかった。
人魚の役割でもある歴史の傍観者として、人に寄り添って生きていくのも悪くはない。

「ナミエさんって豪快っていうか、なんていうか…」
「いいよ玲、言っちゃって。母さんと同じくらいアバウトな性格だと思うよ」
「ちょっと優君、母親の元カノに対して、その言い方は無いんじゃない?」
 隆之が作業場から戻ってきて、店先で笑い合う3人に声をかける。
「奈美恵さん、いらっしゃい。たまには買い物してくれんの? 遊びに来ただけ?」
「この店、店主もそーゆーことを言うのね」
「『も』ってなんだよ。優、おまえ何か言ったのか」
「あーもう、巽さんも座って、お茶煎れるからあたしのマロングラッセで休憩しましょうよね」
「玲ちゃん、あなたも人魚とつきあうと苦労するわよねえ」

 堤防を挟んで海に面したとある街道沿いにあるダイビングショップで。人魚と陸の人間とが笑い合い、お茶なんかしている。奈美恵は小さく笑って「いい時代よね」と、心でつぶやいたのだった。


(おしまい)

*2014年10月(書き下ろし)



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