A fragment of the F……Flogwoman's side〜戦乙女のスカボロウ・フェア〜



〜某日〜
横浜港で行われているダイビング博覧会のゲストとして、重装備アイドルこと道草クーラはこの地を訪れていた。

「Yes、Yes!!もっとプラトニックを刺激するように!!」
『は、はぁ……(シュコー)』

この日の仕事は、撮影中のドラマで使われている重装備潜水戦闘スーツを着ての公開撮影会。ポーズ指導はもちろんこの人、フェティッシュ専門キャメラマン・キャサリン=デューソン。カメラ小僧からの四方八方からフラッシュを浴びる中、キャサリンは今日もクーラに無茶振りを浴びせ倒している。

「はい、ここからはクーラさんとコスプレ限定・記念撮影タイムで〜す。シャッターはMs.キャサリンが押してくれますよ〜」

ここでスタッフが声を張りながら、撮影会場をプラカードを掲げながら練り歩く。すると、待ってましたとばかりにコスプレダイバーがクーラの前に押し寄せる。

「お願いしますっ!!」
「是非キャットファイトのポーズで!!」
「僕は海猿っぽく!!」

「にぇぇ押さないで、順番ですよ順番!?」

コスプレダイバー達の無茶振りにも笑顔で応え、撮影会は順調に進んでいく。

キャサリンもプロキャメラマンに恥じない美技を見せ、一眼レフからデジカメ、さらに使い捨てキャメラでも手ぶれを許さずキッキリ撮って違いを見せつけていた。

「おねがいしま〜す♪」
「あの……かわいく撮って下さい……」

しかしあるコスプレをしてやって来た仲良しJK二人組が視界に入った時……

「Oh、あれは……」

キャサリンの脳裏に、経験していないはずの出来事が鮮明に再生されていた。
ひとりは制服姿だが、もうひとりは『伏龍』と呼ばれる旧日本軍の潜水兵の格好をしていた。

海上には島国へと進軍する大艦隊。その真下、交錯するフロッグマンと伏龍……

「……………………」

「キャサリンさん、キャサリンさーん?」

「Oh!?ソーリー、Ms.クーラ……」

クーラの呼び掛けで現実に引き戻されたキャサリン、どうやら些か意識がトリップしてしまったらしい。

(さっきの、昔グランドグランマに聞いた話と……)

心の引っ掛かりには暫し目を瞑り、キャサリンは日が沈むまで撮影に没頭した。

〜それからどした〜

「ふげぇぇ……まだいくんですかぁ?」

「あたり前だのクラッカーデース、今夜は返しまセーン♪」

「ちょ、なんでそれ知ってるんですか!?」

夜の帳もすっかり降りて、真ん丸お月様が見下ろす大都会。イベント後の打ち上げで大いに騒いだキャサリンと、そんな彼女に連れ回されたクーラは、へべれけになって街をねり歩き、気が付けばどういうわけか明治神宮。

「まだ呑みタリナイデース……おわっと!?」

「ほらほら、足がフラフラじゃないですか……ホテルまで送りますよ」

足が縺れてマトモに立てないキャサリンに肩を貸し、クーラは真夜中の東京をひた歩く。

(……あれ?こんなところに喫茶店なんかあったかな)

それは不夜城・東京の中にあってひときわ強烈かつ幻想的な違和感を放っていた。夜も夜中だというのに、その【マーメイド】と銘打たれた喫茶店の看板は勿論のこと、モダンな雰囲気の店内からも、訪れる者をやさしく包み込むように灯りが灯っていた。窓から中を確認するとちらほらと客がいる。
間違いなく、この喫茶店は営業していた。

タクシーも捕まらないし、いくら超人体質のクーラとはいえキャサリンを担いでホテルまで歩くのは正直しんどい。せっかくだから……と彼女は相方を連れて店に入り、ほどほどに酔いが覚めるまで休憩を取ることに。

「いらっしゃい♪」
「いらっしゃいませ」

出迎えたのは小麦色の髪色をした翠眼の美女と、黒髪赤眼の美少年。

「すみません、エスプレッソを2つ。あと、ツレが呑み過ぎたみたいで……少し休ませていただけませんか?」
「Veryソーリーデース……」

「あらあら……わかったわ、トイレは向こうだから気分が悪くなっても床に吐いちゃダメよ?」

店主とおぼしき女が二人をカウンター席へと促し、赤眼の男はそつのない動きでコーヒーを淹れている。

「キャサリンさん、今日はなんか調子悪くないですか?撮影会でもぼんやりしてるなんて、らしくないですよ」

キャサリンはボディスーツやラバーに異常なまでの性癖を持っている。そんな彼女の気性を知っているクーラは、撮影会でコスプレダイバーに囲まれていたのにぼんやりしていた彼女の様子は明らかにオカシイと感じていた(キャサリンはそれほどの変態さん故に)。

「……お待たせしました」

美少年がそっと差し出したコーヒーカップがかちゃり、とシットリした音色を奏でる。

「あの時はなんだか急に、ミーのグランドグランマのことを思い出して……」

「ひいお婆さん……ですか?」

虚ろな眼のままにエスプレッソを口に運んだキャサリンは、相方に囁くように語り始めた……

「それはミーのグランドグランマ・ドナが第二次世界大戦で体験した出来事デース……」



〜1945年・大平洋・日本領内〜

(ここをこうして……っと、イイ子だから大人しくしといてくれよ)

イタリアが降伏して、ナチスドイツも倒れ、枢軸側でただひとつ、日本だけが徹底抗戦の構えを見せていたこの年、アメリカ艦隊は島国の南側から大挙に押し寄せていた。

(ここが大事なんだ、慎重に……)

既に大戦の行方は九分九厘決していたが、日本軍の上層部はただただ破滅へと向かうのみの闘争をやめようとはせず、多くの国民が犠牲となった。

(よし、起爆装置解除。これで全部だね)

かの国にこれ以上の戦いは無意味であることを理解させるには、かつてペリーがそうしたように力の差を見せるしかない。こうしてアメリカ艦隊は日本本土へと進路を取った。

「お疲れ様です、少尉」

「ぷはぁっ!!この海域の機雷処理ミッションは完了したって、各艦に連絡しな。それよりヤニだよ、ヤニ寄越しな♪」

イタリア軍からの戦利品である潜水士のガスマスクを外し、甲板でにかっと笑みをこぼす黒ずくめの女潜水士。
彼女の名はドナ=ウォーレン、艦隊の露払い役・機雷処理班所属の腕利きダイバーだ。



「ふぅ〜。風を感じながらのラッキーストライクはウマイねぇ、仕事の後はこれが一番だよぉ」

女性が男性を向こうに回して活躍するには些か窮屈な時代であったにも関わらず、このドナは23歳にして少尉として機雷処理班を束ねる……という異例の大出世を果たしていた。
イタリアでのフロッグマン部隊との海中戦や、反政府マフィア勢力と米軍との内通や武器提供作戦での貢献度の大きさが起因しているようだ。

「機雷処理班なんて裏方の仕事で意気がりやがって、女の癖に生意気なんだよ!!」

「……お、やろうってのかい?じゃあ腕相撲で勝負だ。せっかくだから100$賭けようや」

さらに彼女のスゴいところは、マーシャルアーツの全米女子王者にして射撃競技と競泳の銅メダリスト、さらには高校と大学も飛び級……と破天荒で、

「ふんぬぎぎ……(な、何で動かないの?)」

「女だからって手加減してくれてるのかい?」

並の男共では太刀打ち出来る筈もなく、

「そんじゃ100$は遠慮なく♪」

「ぐべあっ!?」

容易く返り討ちにしてしまう超人体質の持ち主だった。

「おととい来やがれ、アンタらなんかアタシ達が機雷処理しなきゃ何にも出来ゃしないんだよ!!」

「チキショ〜、覚えてやがれぇ〜……」

「しかしまぁ、結構貯まったねぇ。このファイトマネーも」

誰がけしかけたのかは忘れてしまったが、ドナにとってこの腕相撲はオイシイ収入源だった。

「戦争が終わったら、これで立派なドレスをしつらえて、そしてジョナサンと……」

どうやら彼女、男共からせしめた金を、自分のイイ人との結婚式の足しにするつもりのようだ。そんな軍人としては非の打ち所の無いドナに、まさか予想もつかない形で悲劇が降りかかろうとは、本人はカケラほども考えてはいなかっただろう……

〜迎えた決戦前夜〜

連合国との南関東上陸共同作戦を間近に控えたアメリカ艦隊。ドナが率いる機雷処理班にも、ある指令が通達されていた。

「みんな、心して聞いておくれ。今回の南関東上陸作戦には、アタシ達も戦闘要員として加わることとなった」

地中海以来久々の対人水中戦である。しかし今回の相手は些か厄介であった。

「いいかい、アタシ達が今度相手するのは……『人間機雷』さ」
「「「にっ……人間機雷!?」」」

その禍々しい響きは、ミーティングに参加した班の若年兵一同を困惑させるには充分だった。

「CIAが纏めた資料に目を通してほしい。日本軍は伏龍なんて御大層な名前を付けちゃいるが、とどのつまり……このまん丸水槽被ったブリキのオモチャみたいな潜水夫に機雷を持たせて、海岸に近づく上陸用舟艇を沈めようって魂胆なのさ」

上層部も玉砕覚悟なカミカゼ攻撃には、物理的にも精神的にも苦しめられた。上陸の前に人間機雷を除去しなければ、連合軍の士気が右肩下がりになるのは明らかだった。

「分かってるだろうけど、水中じゃ銃は使えないよ。銛は海軍のフニャチン野郎が持ち出しちまったから、ナイフを使いな。重い機雷を持った潜水士は動きが鈍いし、泳ぐことだってできねぇ筈だ……だから、真っ直ぐ上から襲うんだ、いいね。機雷の先端にある信管に気をつけな。 分厚い潜水服を切っても致命傷にゃならないよ。太いエアホースを狙うんだ」

「「「ヤー(了解)!!」」」

「よーし、いい返事だ。各自、機材のチェックを怠るんじゃないよっ!!今日は解散!!」

ミーティングを終えた潜水士達が会議室から引き上げていく中、黒髪の少女が俯いたままぽつん……と佇んでいた。

「どうした三等兵、ミーティングはとっくに……そっか、アンタは日本に縁があるんだったな」

「し、少尉、私……」

少女の名はアンリ=ミヨシ。日系二世で、当時の日系人に多い志願兵のひとりだ。自分のルーツがあるかの地が多くの血で洗われてしまうと考えると、胸が苦しかった。
そんなアンリの頭をくしゃくしゃと撫でたドナは、

「心配すんな、アタシはフニャチン共とは違う。武器棄てて投降する奴がいるなら、黙って受け入れてやるさ」

ただ優しく抱き寄せ、アンリの涙を受け止めたという……

〜そして作戦決行当日〜

夜明け呼ぶにはまだ早い星降る海には、ほんのりと赤みがかった月が顔を出していた。

「皆揃ったかい?いない奴ァ手ェ挙げな!!」

鮮やかな黒に彩られた2ピーススーツを身に付け、機雷処理班の潜水士は甲板に集結している。

「夜明け前に連合艦隊の一斉艦砲射撃が敵の防衛拠点に向け放たれる、そして上陸用舟艇が一斉に雪崩れ込むんだ。味方への被害は最小限に食い止めるんだよ!!」

「「「ヤー!!」」」

「それと……だ、一億総玉砕なんて強がってはいるが敵さんだって赤い血流れる人間さ。無駄な殺生だけは御偉方が許してもアタシが許さないよ!!」

「「「ヤー!!」」」

ドナの言葉のひとつひとつで、潜水士達の士気は昇り行く一方である。
そうしているうちに水平線から日輪が僅かに輝きを見せ、連合艦隊は軍港や城塞に向けつつがなく砲撃を開始した。

「そーら、おっ始まりやがった。アタシ達もじきに出撃するよ!!」

潜水士達は酸素ボンベとダブルホースレギュレータをはじめとした潜水機材を素早く装備し、出撃に備える。
ドナもまた、ナチュラルパーマを黒いフードに納めると酸素ボンベに計器に時計、足ヒレ……と手際よく装備していく。

「少尉……御武運を!!」

艦砲射撃が止んだころ、衛生兵兼電信係として支援艦に留まるアンリがドナに敬礼する。
そんな彼女の姿を潜水ガスマスク越しに見たドナは力強く右手の親指を立て、未だ眠りの最中にあるような暗い海へと消えていった。

(ふぅ、頼むから大人しく道ィ開けておくれよ……)

美しく、かつ力強く。
ドナは黒い弾丸のように海中を突き進む。

……とその時、味方であるイギリスの潜水士が血相を変えた様子でこちらに近付いてきた。

(あんたも逃げろ、あそこは地獄絵図だ!!)

(なんだって!?)

英国潜水士はドナに手話でこう告げると、自艦の方へと脱兎の如く泳いでいった。
もっとも、忠告を受けようが受けまいが、彼女が部下を残して自分だけ丘に上がるような下衆ではないのは彼女自身が一番良くわかっていることだ。

とにもかくにも、ドナには渦中に飛び込むという選択肢以外、頭にはなかったのである。

(おいおい……神様はいないのかよ!?)

そして辿り着いた騒ぎの中心で、彼女は言葉を失った。

しん……と不気味に静まり返る海の底、
朝もやのように拡がる朱色の液体、
スキンスーツや潜水服をズタズタにする何かの金属片……

どうやら何かの弾みで伏龍が竹槍にくくりつけた機雷が海中で爆発したらしい。
敵も味方も関係なくそれに巻き込まれ、まさに死屍累々の地獄絵図といった状況だった。

(ウチの奴ら、ちゃんと逃げて生きてるだろうね……)

百戦錬磨の彼女でもガスマスク越しに顔をしかめてしまうほど、現場の状況はあまりにも惨かった。

破片に肉体を貫かれた者、
パニックに陥り呼吸法を違えて窒息死した敵の少女兵、
水圧により意識を飛ばされ、レギュレータを口から離し眠るように脱け殻になった味方……

五体満足で天に召された者たちはまだマシだ。

中には機雷の衝撃をモロに受けて、無惨に砕け散った者もいた。

(あんまりだ……ジーザスも人が悪いよ、悪すぎるよ!!)

味方は勿論敵すらも、今のドナにはあまりに不憫に思えてならなかった。
伏龍の特攻作戦は自滅という形で水泡に帰したのだが、それではここで散った少女兵達は犬死にするために戦場に駆り出されたのか?
そしてそんな敵が掲げた、馬鹿げた場当たり的作戦のために、連合国の味方は命を落とす必要があったのだろうか?

(…………ん、あれは!?)

すると折り重なる屍を押し上げ、ひとり生き残った少女兵が、まさに伏龍の名の如く立ち上がったではないか。
その手には機雷のぶら下がった竹槍が握られていた。恐怖を押し殺しながら、切り揃えられた黒髪と『報国』と書かれたハチマキを揺らすその少女兵の鋭い瞳には、ナイフ片手のドナの姿が映されていた。(もうやめよう……アンタまで死ぬ必要がどこにあるって言うんだい?)

言葉はともかく、ボディランゲージなら通じるかもしれない。
ドナは自分よりもまだ若い雌の伏龍に、必死の身振り手振りで投降を促した。

(生きてるならそれでいいじゃあないのさ。アタシと艦に行こう、悪いようには……)

しかし、少女兵は黒い弾丸の投降勧告を拒否するかのように、金魚鉢めいたヘルメットに保護された野菊のような顔を、気丈に横へと振るばかり。

(私だけでもまともに刺し違えなきゃ、先に逝った皆に顔向け出来ないよ……)

自分を育んだ家族を、故郷を守るために、
死ぬときは一緒と誓いを交わした学友のために、
そして何より、【愛する者】が住まう海に平穏を取り戻すために……

少女は最早、死人の兵と化していた。

(お前達にこの日本は渡さない、天誅!!)

(なっ……速いっ!?)

瞳に赤色の稲妻を少光らせた少女兵が走り込んで突き入れる竹槍が、ドナの胸元に肉薄する。
死人の兵は既に死んでいる。死んでしまえば失うものは何もない。刺し違えるべき米英の鬼畜生を目の前にして、余力を残す必要がどこにあるというのだろう。

今の彼女の願いは、米英の刺客であろう漆黒の蛙女を巻き込んで水中花を咲かせること、ただ一点のみだった。

(……ならアタシは、)

(そんな、この突きをかわされた!?)

しかし願いの強さではドナも負けてはいられない。
自分の帰還を信じているであろう家族同然の部下達のため、
下らないメンツのために自国民を振り回した日本のお偉方に【王手積み】を宣言するため、
何より、愛するジョナサンのために……

生きて帰ることが、ドナにとっての義務であり一番の願いだった。

彼女は目前まで迫った竹槍【五式撃雷】の先端を上半身をよじるように捻りを入れることで回避に成功し、竹槍を手繰って少女兵に肉薄すると、

(は、離せ、離せぇ!?)

(チェックメイトだ、大人しくしな!!)

水中であることを忘れさせてくれるかのような素早い身のこなしで少女兵の背後を取り、羽交い締めにした上でエアホースにナイフを突き立てることに成功した。

(これが最後だよ、アタシについてくるんだ)

(殺しなさいよ、ひとおもいに殺しなさいよ!!)

このまま浮上しようとするドナ、それに抗う少女兵。だが時同じくして、別の少女兵が水面目掛け急浮上し、連合軍の上陸用舟艇のひとつに五式撃雷を叩き込むと、

(あっ……嫌ああああああ!?)

(何だって……どわぁっ!?)

程なくして閃光が……走った。
事を成した伏龍を中心に半径50mの範囲を、爆発の衝撃が否応なしに包み込み、不運にもその中にいたドナと少女兵は瞬く間に押し流されてしまう。

(Shit、どいつもこいつも死にたがりかよ!?……あの子はっ!?)

ドナはどうにか無傷で済んだのだが、拘束していた少女兵を見失ってしまう。その少女兵は、ドナの周囲を覆っていた気泡が晴れると同時に、彼女にその姿を現した。

濃く、そして広く海中を舞う赤いモヤ。
ナイフに引っ掛かり千切れたエアホース。
破片に引き裂かれた潜水服。
砕け散った金魚鉢。

活力を失いながら見開く瞳は海水に洗われ、肉体はびくり、びくりとまな板の上で跳ねる魚にも似た小刻みな動きを止めようともしない。

(そんな……こんなのって……こんなのってアリかよ!?)




立ち位置の悪さで五式撃雷の爆破衝撃をもろに浴びた少女兵は、その体を砂地に横たえて、醒める事なき永久の眠りにつこうとしていた。

(くっ……くぅぅ……)

多少強引にでも浮上を早めていれば……
後悔と自責の念が入道雲のように沸き上がり、ドナは少女兵の胸で泣き崩れる。

愛する者の名を叫ぶように口を開き、力なき両手で最期まで自分の竹槍を探すように手を動かし続けた少女兵は、程なくして糸の切れたマリオネットのようにぴくりとも動かなくなった。

(やっぱ生きたかったんじゃネェかよ、ツマンネぇ意地通しやがって……)

虚空を見つめたままの瞳の瞼を静かに下ろしてやると、ドナは眼前に横たわる幼き兵士の御霊が迷うことなく天国に辿り着けるよう祈りを捧げる……その最中だった。

(な…………え…………?)

(何だい、今何か聴こえたような……)

おぼろげながらに何者かの【声】が彼女の耳にかかる。
心身の疲労と緊張でくぐもった呼吸音を人の声と聴き違えたのだろう……ドナはそう思っていた。

(今日はなんだか無性にジョナサンの声が聞きたいよ……艦に帰ったらチョッカイ出しに行こう……)

(……み、え……ナミエぇっ!?)

(さっきよりもクリアに聴こえる!?)

しかし帰還しようとした彼女の耳には、先程よりもハッキリと聴こえる【ヒトの声】が飛び込んで来て、その次にはただならぬ気配が魚雷よりも早くこの場に押し迫ってくる。
脊髄反射でナイフを構え臨戦態勢に入ったドナだったが、その気配の主の姿に……我を失った。

「ねぇ冗談なんでしょナミエ、起きてよナミエ……ナミエ……ナミエぇぇぇええ!?」

(あっ……あ、あっ……)

現れたものは上半身こそ鮮やかなエメラルドグリーンの髪をなびかせる乙女の姿を取ってはいるが、下半身にはきらびやかな鱗が宝石細工のように敷き詰められており、両足の爪先があるはずの位置には魚類のそれを彷彿とさせるヒレが堂々と潮の流れに揺らめいている。

それは、ドナが子供の頃に悪友達とサーカスの見世物小屋で見たことのある、ムンクの叫びのような、それでいて乾物のような姿とは似ても似つかなかったのだが、ソレだと確信に至るには充分過ぎる程の存在感を放っていた。

(に、人魚…………)

横たわる少女兵……ナミエの名を、悲しみにくれる人魚は何度も何度も叫び続ける。

「そうなのね、あなたがナミエを……愛しい愛しいナミエを……」

人魚の心に涙の雨を降らしていた雲は、瞬く間に怒りの感情を伴い黒く、大きく、禍々しく成長していく。

「許さない…………許さない!!」

(があっ!?う、動けない!!)

体に触れられたわけでもないのに、ドナの両手足は見えざる手により大の字を作るように開かれる。

(なぁ頼む、アタシの話を聞いておくれよ!!話せばわかる、話せば……)

ヒトの常識を無視してあらゆる方向から掛かる水圧が、蛙女を張り付けにする。経験したことの無い恐怖に晒されているドナだが、ゆらゆらと逆立つ人魚の毛髪と、ギリギリ引き絞られて行く弓矢にも似た、津波前の引き潮とのデジャヴにより、この先我が身に何が起こるのかは把握出来た。

両生類めいたゴムの仮面の中、
気丈に振る舞おうと思う心とは裏腹に、瞳からは生暖かい塩水がとめどなく漏れだしている。
ヒトの子はくぐもった声で、ヒトならざる者に慈悲を乞う……

「聞きたくない……何も聞きたくない!!」

(ぐわぁう!?がは、がっ……)

だが、ヒトの子の願いは聞き入れてもらえなかった。何も喋るなと言わんばかりに水圧が、アッパーカットの如くドナの喉元と顎をかち上げる。そして……

「ナ★§∩♯‰∬ミΘληΧδエёЭЧбдНЧ!!!!????」

怒髪衝天。
人魚の口からうねりを伴い飛び出したのは、怪音波と例えるに相応しい破壊の旋律。

(AAAAAAAAAAAAAAGH!?!?!!??)

激しく体を仰け反らせながら、ドナは人外が放つ死の独奏に押し流されていく。

不快と呼ぶことすら表現不足の行き過ぎたハイトーンは、両耳の鼓膜を容易く突き破る。

衝撃波は肉体さえも波打たせ、筋繊維のひとつひとつが丹念に引き剥がされていくような、ビリビリとした激痛が止むことなく、頭から爪先までひた走る。

五臓六腑が外界に引き抜かれそうな感覚に襲われ、無意識のうちに血反吐混じりの体液をガスマスクの口元に、何度も何度も吐き出してしまう。

死の独奏はドナを岩壁に突き刺すに満足するどころかそれを圧倒的に突き破り、彼女を支えてきた丈夫な骨を無慈悲に打ち砕き、エアホースを引きちぎるとガスマスクのレンズも破壊して冷たい海水を馳走する。

人魚と少女兵の姿がやっと見えなくなった頃には、男勝りな海の女傑の姿はなく……

(あ……あ…………あぅぅ…………もぅ、どこがどんな風に痛いのかも、わかんねぇや…………)

そこにいたのは、赤潮に蝕まれた海藻のように活力を失った体を海の中に投げ出す、死に体の蛙女だった。

(アンリ……アタシ、帰ってこれそうにないや……ジョナサン……結婚の約束……オジャンになりそうだ……すまないね、後生だよ…………)

戦場で敵に殺られたのなら、まだ格好はついたのかもしれない。しかし……

(戦場で人魚に殺られたなんて……ハハッ、とんだアメリカンジョークだね…………おや、さっきの人魚のお仲間かい……?あれが死神の使いか、意外とイイ男じゃあないのさ)

霞む視界に映るのは緑の長髪。

(刺身なり炙りなり……好きにしやがれ、くそっ……た…………れ)

そしてドナは泥のような眠りに誘われた……

(んぐ……う……)

次に彼女が目を覚ましたのは、透き通った水に浸かった花畑だった。
自分はそこで仰向けになり横たわっている上に、ガスマスクも外されている。そして傍らには意識が途切れる前に見た、翠髪痩躯の人魚の男性が。

これは夢ではないか、あるいはあの世の入口ではないか……などと考えながら、ドナが虚ろな瞳で非現実的な光景に魅入られていると、人魚の方から微笑みかけながら、彼女に話し掛けてきた。

「まだ意識はあるみたいだね?」

(アタシ……まだ喰われてないのかい?)

「失敬な、生憎だが私に人食の習慣は無いものでね。君の期待に応えなかったのは謝っておくよ」

随分と人を食うような言い回しをする人魚だと感じたドナも、彼に向かい静かに微笑んだ。

「さて、単刀直入だがここで本題だ。私の同胞が、陸人の君に危害を加えてしまったことだ」

(いいんだよ、もう。あの娘のイイ人をあんな目に遭わせちまったアタシにも責任はある……それにここは戦場、魚雷にぶち抜かれたと思えばすむ話さ)

「あの娘の……マーナのことを許してくれると言うのかい?変わった御婦人だな」

(それよりもヤニ……あるかい?あの世に逝く前に一服くらいいいだろ……あっ、水中じゃあ水タバコか、こりゃ傑作だ♪)

人魚の優男にもまた、ドナのことを不思議に感じていた。生死の境目にいるにも関わらず、閃いたアメリカンジョークでケタケタと笑う……この状況を楽しんでいるとした思えない態度は、彼に懐かしさすら覚えさせた。

「死を覚悟しているところに水を差すようですまないが、私に同胞のしでかした事に対しての償いをさせてはくれないだろうか?」

(えっ?それってまさか……)

人魚の血肉には不老長寿の薬効があるという……ドナもこの噂は知っている。

「血を分け与える……勿論君をヒトならざる者にしない程度にね」

(人魚ってば、そんな器用な真似も出来るのかい?全くもって傑作だね、あっはっはっは……)

優男は自らの血をドナに与えることで、マーナに傷つけられた肉体を癒そうと考えていた。
そんな人魚の器用さをひとしきり笑い飛ばした彼女は……

(あっはっは……ふぅ。舐めてもらっちゃ困るねぇ、お魚ちゃん)

「お、お魚ちゃん!?」

きっぱりNOと言うに等しい啖呵を、ことのほか快活に切ってみせたではないか。

「ば、馬鹿な!?私は命を救うと……それにお魚ちゃんなんて……何千年生きてきた中で、君みたいな丘人に逢ったのははじめてだ」

長い時の流れの中を泳いできた人魚には、ドナの啖呵は正直、気がふれているとしか思えなかった……だが、次の彼女の言い分を聞くと、優男は全てが腑に落ちることとなる。

(人魚がどうだか知らねぇが、ヒトってのは遅かれ早かれみーんな、くたばっちまう。その時がくるまで、必死こいて命を輝かせるんだ。アタシは散々馬鹿やって来たし、イイ人とも巡り会えた)

ドナは人魚への説教を続ける。

(でもあの娘ら……伏龍(クラウチングドラゴン)はどうなんだい?ホトケさんを見たところじゃあ、せいぜいハイスクールガールくらいの年頃だろ、悔いならアタシの比じゃないはずだよ)

伏龍として駆り出されたのは、本来なら国の未来の担い手である少年少女だ。
彼らは皆、軍の馬鹿げた方針により、夢も希望もかなぐり捨てて、お国の為に死ぬことを義務付けられた、戦争の被害者だ。

(このままじゃ不憫だよ、アンタの力はあの娘たちに使ってやんなよ、ねぇ……)

ここまで聞いたところで、優男はドナの手を握り、静かに首を横に振った。

「悪いがそれは無理だ……」

(無理って何さ、何とかしやがれ!!)

「あの娘たちの魂は肉体から完全に剥離してしまっている……そうなってしまっては、私の力を以ってしても、最早手遅れなんだ」

そして優男はそのまま、ドナに這いよるとその柔らかな唇に……

(ん、むぐぅ!?何すんのさ変態人魚!!)

「そのままそのまま……話を聞けば、尚更君を助けたくなったよ」

……熱くてヒンヤリとした、濃密でとろけるような接吻を交わす。

「大丈夫、その思いがある君なら彼らの分まで生きていける筈さ」

体が光の先へと浮上する感覚を覚えながら、ドナの意識は水中からホワイトアウトした……

〜一週間後〜

「んぐ……うぅ、ん……?」

制圧した軍港に浮かぶ支援艦の医務室の中、生死をさ迷ったドナは白くて固くて寝心地の悪いベッドの上で目を覚ました。
包帯とギプスで厳重にくるまれた体のすぐとなり、彼女の婚約者で新聞記者のジョナサン=デューソンがすやすやと寝息を立てている。

「おはようございますデューソンさん、朝食の用意が……んひぃぃ少尉ぃ!?」

ドナの覚醒に気付いたアンリは、しこたま腰を抜かして尻餅をついてしまった。

連合軍が日本に進撃したあの日、ドナは機雷処理班支援艦に体を投げ出していた。

「う、ウォーレン少尉!?まさか機雷の水中爆発に捲き込まれたのか?」

しかしエアホースは無惨に引きちぎられ、スキンスーツも血まみれ傷だらけ。
いち早く気付いた水兵がガスマスクを脱がしてはみたが、活力無くぐったりとした蒼白い顔を周囲に見せびらかすのみである。

「こんな体でどうやってラダーを上がったんだ?」

「あの跳ねっ返りが、まさか……」

「いい奴だった……」

「いや待て、心臓はまだ動いてるぞ。医療班は直ちにスタンバイだ、ウォーレン少尉を死なせるなよ!!他の奴は担架を持ってこい!!」

海水吸引による肺炎。巨大な水圧に押しつぶされたかのような全身の筋断裂。肋骨、大腿骨、上腕骨、下顎に頸椎、鎖骨そのほか数十ヶ所の骨折、おまけに内耳障害も疑われる両鼓膜裂傷。
複数の内臓が裂傷を負い、大動脈静脈ともに複数ヶ所で破断、etc、etc……
いずれも即死しておかしくないほどの重傷だったのに、奇妙なことに、それらは医療班が検査をする頃には治癒しかかっていた。

「ぐむむ……(夢だったのかい?いや、アタシがしたあの体験は……)」

ドナの身に起きたこと、それは戦火が魅せた束の間の白昼夢だったのだろうか。
それならば、口の中にほのかに拡がる、まろやかな潮の味わいは……

「ど……ドナさん?ドナさんだぁっ!!」

「ふごぅっ!?(ちょ、苦しいってばジョナサン)」

「よかった、生きててよかった……」

しかし、それが夢でも現実でも、今のドナには全てがどうでもよかった。
自分は、あの悲惨な状況の中で生かされた。そして愛する人の元に帰ってこられた。それで充分だった……

〜〜〜〜〜〜〜〜

「その後半年のリハビリを乗り越えて、グランドグランマは結婚……お陰でミーがいるってコトなのデース」

「人魚が助けた命……ですか。なんか奇跡めいたモノを感じますね」

いつの間にやら、店内の客はクーラとキャサリンだけになっていた。
夜空の満月は、相変わらず不夜城に降り注いでいる。
二人の酔いも、ほどほどに覚めていた。
酔っぱらいの長居は流石に迷惑だろうと思い、二人は会計を済ませようと席を立つ……

「……ちょっと待って」

「う、What?」

すると、店の女店主のレナがソファからす……と立ち上がり、キャサリンの顔を両手で優しくホールドすると、ソレをまじまじと眺めているではないか。

「あー、やっぱり。貴女、ドナ=ウォーレンと瓜二つの顔してるからもしかして……と思ったのよね♪」

「なぜグランドグランマのこと……」

しかも、このうら若き女店主はドナのことを知っているときた。

「ドナは進駐軍が日本にいた頃のお得意様でね、旦那さんとよく、カウンター席で肩寄せ合ってたっけ……ボンゴレとパエリアがお気に入り。『ウチの人』からも、彼女には特にヨロシク計らうようにって言われてたしね」

「この話は、ミーが幼い頃にグランマから聞いた話デース。その頃にはグランドグランマはもう……なんでピチピチなユーがそんなコト……Oh!?まさか、ユー……」

「いやいやいや、まさかそんなご冗談を〜!?あたしよりも2〜3つ上くらいにしか見えない人が、そんなわけ……」

レナもそうだとしか思えないキャサリン、
ジョークとしか思っていないクーラ、

(嫌な予感が……レナさん、まさか『アレ』やらかすんじゃあ?)

そして何かを心配する店員の龍一。

そんな三人の思いは、次のレナの行動によりひとりには感嘆を、ひとりには驚愕を、最後のひとりにはため息をもたらすこととなる。

レナはLLサイズのグラスにおもむろにミネラルウォーターを注ぐと、その中に飽和する程の……致死量めいた粉末岩塩を豪快に叩き込み、そして……

「Wow, it's amazing!!」
「……げっ、飲んだ!?この人美味しそうに飲み干した!!」
「うわ〜、やっちまったよレナさん……」

自らがヒトならざる者である事を証明するかのように、見てるだけで口の中がおかしくなりそうな岩塩水をサラリと飲み干してしまったではないか。
実際問題、レナの素性は『西の魔女』と称される人魚なのだが……

「ユー、凄くタフネスデスねー」
「せ、世界はまだまだ広いんだなぁ……」

この証明方法では、ビックリ人間以外何者にも見えないのだ。
しかしながら、ここで地の文がガタガタ言うよりも、乾さんの元ネタを御覧頂いたほうが100倍効率的なのでここらで閑話休題。

「信じる信じないは置いといて……もしナミエさんに逢えるなら、逢ってみたいと思わない?」

「勿論デース、グランドグランマは終戦の日には必ず、Ms.ナミエとクラウチングドラゴンに祈りを捧げてマーシタ。ミーがMs.ナミエに想いを伝えるデース」

「そう、それなら……コレを着ていくといいわ♪」

ナミエに逢いたい、逢って曾祖母の想いを伝えたい……
そんなキャサリンの願いを汲んだレナは、店の奥から編み込みと艶のある黒が特徴の、2ピーススーツを取り出した。

「これは彼女が退役した時に、記念に貰ったものよ。御子息の貴女が持っているのがふさわしいわ」

「編み込みがSo cuteネ、グランドグランマに嫉妬しちゃいマース♪」

フェティッシュ根性が勝ったか、キャサリン……ツッコミ所が違うぞ。

「……ねぇ店員さん、あのスキンスーツってホントにドナさんの形見なんですか?70年近く前の代物にしては、新品同様にしか見えないんですけど」

「実は、店の倉庫に四次元ポケット的な、レナさん専用クローゼットがあるみたいで……お客様、ここだけの話ですよ?」

そうそうソレソレ、クーラと龍一君、御名答。

「ついでにこの潜水ガスマスクもあげるわ」

「ウットリしちゃうデース!!」

「10月31日に、この港町にあるダイビングショップに行ってみて。素敵な何かが起きるかもね?」

〜10月31日・某所にある港町〜

「もう重ね着出来ないデース……zzZ」

「変な夢見てる場合じゃないですよキャサリンさん、着きましたよ?」

レナに指定されたその日、二人を乗せたマイクロバスは潮の爽やかな香りがする港町に到着した。
軒を連ねるマリンスポーツショップ、
その周囲をスーツ姿で歩くダイバーやサーファー……
海水温が冬でも暖かく、マリンスポーツ愛好家には有名な場所なのだとか。

実は、クーラを一目置いている辣腕放送作家と辣腕Pの粋な計らいにより、番組ロケをこの町で敢行することに相成ったのだ。

「スーツが選り取り見取り……Oh、ミーのLibidoが、Libidoが……あ゛ぁ辛抱たまらn」

「落ち着いて、落ち着いて下さい!!形見のスーツに何かあったらどうするんですか!?皆さん逃げてぇぇえ!?!?」

形見のスーツで一般人に襲いかかろうとするキャサリンを、特殊部隊コスのクーラが必死に抑え込む。
こんな嘘か本気か判らないようなフェティッシュコントを繰り広げつつ、二人と撮影クルーは指定されたダイビングショップへと辿り着いた。
店側には【クーラの重装備クッキング】の撮影ということでアポを取ってある、あとは中に入るだけだ。

「さ、行きましょうか?」
「そ、そうデースね……」

いよいよである。
二人が足を踏み込むと、ガラス張りのドアがするりと道を開けた。

「すみませ〜ん、赤坂テレビの者ですが、オーナーの隆之さんは……」

「あっ!?ねぇ優、この人、重装備アイドルの……」
「うん、そうだよね、玲……テレビの人がどうして……ちょ、タカさ〜ん!?」
「なんだよ騒々しい……んがっ!?今日は番組ロケの日だったか!!」

店内では、シャチを思わせるウェットスーツを着た少女……玲(あきら)と、エメラルドグリーンの髪色をした少年……優(ゆう)が、マロングラッセを囲んでティータイムを楽しんでいた。
店内の二人がクーラとキャサリンの存在を確認した頃、店の奥から無精髭の偉丈夫がドタドタと足音を立てながら顔を出した。この男がオーナーの隆之だろう。

「ちょっとどうしたの、有名人でも……」

そして騒ぎにつられてトイレから出てきた女性……

「あっ…………」
「Oh…………」

「奈美恵さん、どうしたんですか?」
「キャサリンさん……おーいキャサリンさん?」

奈美恵とキャサリンの目が合った時……

(……ちょっくら体、借りるよ)
「What、ユーは一体……AAAAAAAAAAAAGH!!??」

キャサリンの体が、目映い光に包まれた。

「「「「「うわ……っ!?」」」」」

照明さんが用意した撮影用ライトをも遥かに凌ぐ光が店内に放たれ、その場にいた誰もが思わず顔を背ける。
やがてその輝きは穏やかになり、キャサリンのみを黄金色に染め上げた。
彼女のナチュラルパーマのロングヘアは宙になびき、両足は床から離れてしまっている。尋常でない何かが起こっていることは、誰の目にも明らかで、一同はただこれを茫然自失して眺めることしか出来ずにいた。

やがて清々しい朝を迎えたように瞼を開いたキャサリンは……

「どうなってんだい、まったく……待てど暮らせど【コッチ】に顔出さないと思ったら、アンタあの時とちっとも変わらないじゃないのさ!?メリル=ストリープも顔負けだよ」

奈美恵の方に顔を向けると、彼女目掛けて笑顔で悪態を投げつけたではないか。
姿形こそキャサリンだが、中身がまるで別人のようである。

「あの……あなたは一体?」

奈美恵に問いかけられたキャサリンの中の人は、レナに貰ったガスマスクを顔の前でちらつかせ、

「ドナ……ドナ=ウォーレン。あの時アンタと揉み合いになって、アンタのイイ人の怒りを買っちまった、アメリカの蛙女さ♪」

カラカラ笑いながら名乗ってみせた。

「えっ、ドナ……まさかキャサリンさんのひいお婆さんの!?」

事情を知っているクーラは驚く、

「えっ……ぇぇえええ!?それじゃお師匠様が禁忌を冒して助けたって、あの!?」

同じく事情を知る優も驚く、

「ちょっと優、話が読めないんですけど」

「何が何だかサッパリだぜ、おい……誰か、この散らかった状況を解説できる奴はいないのか?」

玲と隆之はやや置いてけぼりを食らった様子だ。
しかしながら、誰よりも驚いていたのは……

「その力強い眼差し……思い出した……あの戦争の時の……」

他でもない、奈美恵だった。

「ナミエ……アンタと話がしたくてさ、曾孫の体を借りて出てきちまった。アタシに似てベッピンだからな、やっぱ馴染むねぇ♪」

ドナは自分と瓜二つな曾孫の肉体に憑依することで、奈美恵と暫しの世間話に興じるつもりらしい。

「あの時は悪かったね……アタシのスキルが至らなかったばっかりに、アンタにゃ痛い思いさせちまった」

「私こそ、本当は生きたかったのに……あなたの呼びかけに素直に応じていれば、マーナもあなたをあんな目には……」

ひとりの女は自分の力不足を詫び、
ひとりの女は人質にされた絆に翻弄された自分を恥じた。

望まれて始まった戦争ではなかった。
引き返すことは、時代のうねりが許さなかった。
終わらせたいという願いは、誰にも共通に宿っていた。

「アンタ、いつ頃『こっち』に来るつもりなのかい?」

「マーナの血を思い切り飲んだからね……まだまだ先の話になりそうだわ」

「予定は未定ってワケかい、まぁいいや。アンタのダチにもそう伝えとく」

この二人、出逢いが戦時下でなければ女の友情を築く仲になれたやもしれない。
忌まわしき戦いも、喉元過ぎれば話の種ということか。

……とここで、ドナが拝借したキャサリンの肉体が再び激しく輝きだした。

「なんだい、もう時間かい……ケチだねぇジーザスも」

「そう言わないで。命を全うしたら必ず逢いにいくから」

「そん時にゃトッテオキのダイビングスポットを案内してやんよ」

「うふふ、楽しみにしてるわ……それじゃあまた」

「あぁ、次に逢うまで……アバヨ、クラウチングドラゴン♪」

光は隆之の店を突き抜け天へと昇り、その後には正気に戻ったキャサリンがたたずむのみだった……

「今……ミーにグランドグランマが……」

「ありがとう……貴女のお陰で、長い間刺さっていた胸の棘(とげ)が、今日やっと抜けた」
「Ms.ナミエ……」

奈美恵とキャサリンはただ互いを熱く抱き寄せ、声にならない声を言葉でかわす。

「え、え〜っと……」
「私達、お邪魔かもしれませんね……」
「なんか耳が熱いな、さっさとロケ始めようぜ?」
「そ、そうですね、アハハ……今日の撮影は『射抜け、湾岸スピアガン』ということで、スピアガンで射抜いた獲物と潮干狩りで得た食材でボンゴレとパエリアを作る……」

なんかその場に居辛くなった一同は、速やかに撮影にかかったのだとか。

〜そしてその夜〜

「地元の皆さんの協力で、今日はこんなに豪勢な食卓です!!」

クーラの全身からボンゴレ、パエリア、と軽快なキャメラワーク。
下界をほんのり照らす月に見守られ、海岸でキャンプファイアを焚きながら、クーラとダイビングショップの関係者は食卓を囲んでいた。

(((……いやいや、ほぼアンタのお陰じゃないか)))

その関係者3名は、重潜水装備のクーラのハンターっぷりを目の当たりにしており、彼女の『もうひとつの顔』に度肝を抜かされたわけだが。

その頃、少し沖の方ではドナの形見を着たキャサリンと修理・改造した伏龍潜水服姿の奈美恵が、ナイトダイビングに興じていた。
「見せたいものがある」と、奈美恵がキャサリンを誘ったようだ。

(まさかあの時戦った人の曾孫さんと、こうして海中遊泳しているなんて……)

(グランドグランマが勇敢に戦った海に、ミーも潜ってるデース……)

奈美恵は戦友と過ごした青春を懐かしむように、
キャサリンは曾祖母の面影を感じるように……
各々がしばらく思いを馳せていると、

(ほら……始まったわ)
(Wow……It's amazing!!)

まるで水面に映る月明かりが染み込むように、二人の体が光だしたではないか。
真っ暗な夜の海に潜って身体を動かすと、軌跡に沿って夜光虫が幻想的な光を見せてくれるそうな。

(Maybe、たぶんコレは……争いの無い世の中を望んだ、人たちの思いデースね)

(私、みんなの……みんなの分まで生き抜くから……)

それは、時代に翻弄された者たちが遺していった、平和への祈りなのかもしれない……

〜同時刻・喫茶マーメイド〜

「ハロウィンの日にはこの世とあの世の関が開く……先祖の霊も来るあたり、お盆と似てなくもないわよね、【サムディ】?」

「霊界に取り次げだなんて、人使いの荒さは相変わらずですね、マドモアゼル……」

一方その頃、人魚が営む喫茶店の中、カウンターを挟んで女主人と、礼服を見事に着こなした中性的な顔の(見た目は)若い男……サムディが意味深な会話の最中である。

「あら、いいじゃないのサムディ君。人使いも何も、貴方そもそも【ひとでなし】なんだし♪」

「そ、そりゃ確かに仰る通り、小生はマダム同様、ヒト科の生物にカテゴライズするには難しい立場ですがね……」

その名はバロン・サムディ……【土曜日の紳士】の異名も持ち、ハイチでは死と愛を司る存在として祀られているとかいないとか。

「とにかくお疲れ様、上物のラム酒が入ったから呑んでいきなさいよ?」

「お、小生の好物とは有難い……」

人種も種族も違えど、全ての生ける者が、同じ空の下で笑いあえる……そんな日がいつか訪れるのかもしれない。
人魚と死神は、その日を月に願いながら杯を交わすのだった。

〜fin〜

※勝手に挿入曲
the space between two world/Nujabes
GOLDEN BROWN/THE STRANGERS
kujaku/Nujabes
Scarborough Fair/Simon and Garfunkel
aruarian dance/Nujabes



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